学校規模についてのWHOの基準は生徒100人以下

学校規模についてのWHO(世界保健機関)の基準は生徒100人以下

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WHOの学校規模の基準は生徒100人以下

(2013年3月9日)

WHO(世界保健機関)は、世界各地から「学校規模と教育効果」について研究した論文を集めて多面的に分析し、その結果をまとめとして発表しています。

 

WHOの学校規模についての結論は次の通りです。

@ 近年、子どもの教育機関を組織する際に従うべき原則に関して、有識者による実に多くの著書および報告書が発表されているので、ここで改めて議論する必要はあるまい。

 

A それらはすべて、大規模な機関においては回避することができない規則および規制を回避するためには、教育機関は小さくなくてはならない――カーティス報告が提案した生徒100人を上回らない規模――という点で意見が一致している。

 

B 非人格的な規則ではなく、人間的な関係に基づいたインフォーマルで個性的な教育は、こうした条件のもとで初めて可能になる。

 

C (教育機関の内部の)集団の規模に関しても意見の相違はまったくなく、小さな規模を保たなければならないという考え方で完全に一致している。

 

(カークパトリック・セール 『ヒューマンスケール』 教育不在の「教育」機関より)

※(注)○数字は引用者(原文にはありません)

 

このようにWHOは、学校は小さくなくてはならないとして、生徒100人を上回らない規模が望ましいとしています。

 

この基準は1学年あたりでは、

  • 小学校の場合は6学年ですから、1学年あたり16人以下
  • 中学校の場合は3学年ですから、1学年あたり33人以下

ということになります。

 

いま、日本の各地で、政府や地方自治体が強引に統廃合を進めようとしている学校の多くは、WHOが望ましいとしている規模を上回る規模の学校ではないでしょうか。WHOの基準、つまり教育的観点からすれば統合など必要ない、むしろ統合してはいけない規模の学校を、無理に統合しようとしているのです。

 

教育効果を高めるために世界標準の先を行くのでなく、行政効率性を優先して、望ましくない教育環境に導くのが、今の学校統廃合の動きなのです。

 

解説

このWHO(世界保健機関)の指摘は、一読しただけでは少し分かりにくい部分があるかと思いますので、簡単に解説しておきましょう。

 

@の部分

ここは特に問題ないでしょう。「子どもの教育機関」というのは、学校などのことです。学校をつくる際の原則に関して、有識者によってたくさんの著書や報告書が発表されているということです。

 

Aの部分

それらを分析してみると、そのどれもが、学校の規模は小さくなくてはならないという点で意見が一致しているということです。そして具体的な規模としては、代表的なカーティス報告が提案しているように「生徒100人を上回らない規模」で一致しているというわけです。

 

前半に「大規模な機関においては回避することができない規則および規制を回避するため」とあります。一般的に組織や集団の規模が大きくなればなるほど、「○○しなければならない」とか「△△してはいけない」というような規則を作って規制し、管理することが必要になります。

 

しかし、学校というのは本来、規制や管理はなじみません。子どもたちに社会のルールを教えることは必要ですが、それは規則で縛り、規制し管理することによってでなく、理解と納得によって教えていくものです。

 

ですから、規則や規制で管理することを回避するためには、学校規模は小さくなくてはならないというわけです。

 

Bの部分

子どもというのは、当たり前のことですが未熟な存在です。それを人間として成長させるのが教育の役割です。Aの部分とも関連しますが、子どもたちが理解も納得もしていないのに、「あれもダメ、これもダメ」と規則で管理することは、子どもたちの人格そのものを否定してしまうことにつながります。これが「非人格的な規則」ということです。

 

学校は、子どもたちにとって安心できる居場所でなければなりません。安心して心を開ける場、自分は大事にされていると自覚できる場でなければなりません。さらに、子どもたち一人ひとりの個性が大切にされる場でなければなりません。

 

子どもたちの人格を尊重し、人間的な関係を基礎として、インフォーマル、すなわち規則や形式にとらわれない、子どもたちの個性に合った、その学校固有の教育は、小さな学校でこそ初めて可能となるというわけです。

 

Cの部分

教育機関の内部の集団の規模というのは、学級規模などのことです。学級などの規模についても、小さな規模を保たなければならないという考え方で、どの研究報告も完全に一致している、ということです。