学校統廃合についての国の指針
(2015年1月29日更新)
文部科学省は2015年1月27日、学校統廃合に関する新たな「手引」を各教育委員会に通知しました。
ここでは、過去の学校統廃合に関する指針がどのようなものであったかご紹介します。
今回の文科省の「手引」以前に、文部省(当時)が出した学校統廃合の指針となる通達は2つあります。1つは、学校統合を奨励した「1956年通達」、もう1つは、その方針を修正した「1973年通達」です。
学校統合を奨励した1956年通達
(2013年2月7日)
1956年(昭和31年)11月17日に、文部省(当時)は「公立小・中学校の統合方策について」という通達を出しました。これが、国が学校統合に関して出した1つめの通達です。
当時は、全国的に町村合併が進んでいたことから、それにあわせて小中学校も統合しようとしました。児童・生徒の数も増加し、間もなく戦後最初のピークを迎えようとしていたころです。
このときの通達は、小規模校では、@教職員の適正配置や学校施設の整備・充実が難しく教育効果を上げにくい、A学校経費が割高となる、といったような理由から、学校統合を奨励するものでした。
教育水準の維持向上なども理由に含まれていますが、要は「小規模校では国の財政支出が増えるから学校統合を進めなさい」というものです。
文部省の通達 : 「公立小・中学校の統合方策について(1956年11月17日)」
2015年1月27日に新たな「手引」を策定し通知したことで、文部科学省のホームページから過去の通知は削除されています。全く信じられません。総務省のホームページに残っていましたのでそちらにリンクしています。3〜4ページが1956年通知です。
この通達は、公立小・中学校の統合方策について中央教育審議会から答申を得たとして、その答申の内容に沿って学校統合を進めるよう地方自治体に求めるものでした。
ですから、通達の具体的内容は、中教審答申の内容ということになります。
この通達の形式が、あとで文部省の責任逃れの口実に使われます。無理な学校統合で各地で矛盾が噴出し、国会で責任を追及された文部省は、「中教審の答申は地方に流したが、学校統合について特別どうこうしろという指示はしていない」というような驚くべき答弁をしています。⇒ 詳しくはこちら
通達の根拠となった中教審答申
1956年(昭和31年)8月27日に、当時の文部大臣が「公立小・中学校の統合方策について」を中教審に諮問し、同年11月5日に中教審が答申しました。
文部大臣の諮問と中央教育審議会の答申はこちら
(文部科学省のホームページへ)
中教審答申は、
- 小規模学校を適正な規模に統合することは義務教育水準の向上と学校経費の合理化のため極めて重要。
- 画期的な規模で町村合併が行われているので、それにあわせて、小規模学校の統合を促進することはきわめて適切。
として、合併市町村はもちろん、その他の市町村でも学校統合を積極的・計画的に実施する必要があるとしました。
そして「学校統合の基本方針」「学校統合の基準」「学校統合に対する助成」が示されました。主なものをあげておきます。
学校統合の基本方針
答申は「国および地方公共団体は、学校統合を奨励すること」として、国と地方自治体に学校統合を積極的に進めるよう求めました。
一方で、「ただし書き」があります。「ただし、単なる統合という形式にとらわれることなく、教育の効果を考慮し、土地の実情に即して実施すること」とされました。それぞれの地域の実情に即して実施するようにということも盛り込まれています。
しかし、実際には地域の実情が十分に考慮されることはありませんでした。国は、統合を促進するために財政措置を用意し、地方では補助金欲しさに無理な統合が進められたので、地域住民との矛盾が噴出し、のちに文部省(当時)は学校統合政策の方針転換を迫られることとなります。
学校統合の基準
答申では「小規模学校を統合する場合の規模は、おおむね12〜18学級を標準とする」ことが明記されました。これが「12〜18学級」という学校規模の標準が示された最初のものです。
これが、のちに「標準規模」「適正規模」として法令に書き込まれます。現在においても国の定める「学校の適正規模」として、教育委員会が「錦の御旗」にしている基準です。
学校統合に対する助成
学校統合により必要となる施設の建設費を十分に助成すること、各種振興法に基く補助金の配分についても、統合した学校を優遇すること、などを国に求めました。
戦後の新学制(義務教育6・3制)が1947年にスタートしましたが、当時の最大の問題が学校施設でした。特に、新たに義務教育とされた中学校の校舎を確保するのに困難を極めたようです。そうした事情もあり、地方としても補助金に飛びついたわけです。
このように、学校統廃合を積極的に推進するよう求めたのが、1956年(昭和31年)の通達でした。