「Uターン通達」は「山原質問」が強い後押しに
(2014年2月15日)
学校統合を進めてきた文部省(当時)に、無理な学校統廃合の矛盾を認めさせ、1956年(昭和31年)通達の見直しを約束させたのが、1973年(昭和48年)3月7日、衆院・予算委員会第2分科会での山原健二郎・衆院議員の質問です。
もちろん山原健二郎議員の質問だけで、それができたわけではありません。それまでの国会審議での議論の積み重ねがあり、何よりも地域住民の世論と運動が国を動かす大きな力となりました。
このときの質問には、もう一つ大きな成果があります。「学校の適正規模」とされてきた「12〜18学級」に教育学的根拠はなく、単に経験的に導き出された「基準」であることが明確になったことです。
該当箇所をご紹介します(見出しは引用者)。 山原議員の質問部分は、全文引用すると長くなるので、要旨とさせていただきました。
山原健二郎 衆院議員
12〜18学級が、教育学的に適正規模だという根拠はどこにあるのか。
岩間英太郎 文部省初等中等教育局長
これはある程度経験に基づいて、従来から12学級ないしは18学級というのが、学校の管理上、それから生徒の学級編制と申しますかの適正規模、それから施設、設備の配置、あるいは教員定数の充実というふうな面から申しまして一番望ましい形ではないかということでございます。
先生がおっしゃいましたように、学問的なあるいは科学的な見地からこれが最適であるというのは、教育につきましてはなかなかそういうような判断は出しにくいわけでございまして、経験的に申しましてそういうものが一番望ましいということでございます。
この質問を通じて、「適正規模」とされる「12〜18学級」が、教育学的・科学的に検討されたものでなく「経験的に望ましい」と考えられる「基準」でしかないことが明確になりました。
山原健二郎 衆院議員
昭和46年度の学校規模調査では、全国の小中学校で12学級以下の学校は1万2,400校、19学級以上の学校は9,294校ある。過疎地域に対しては12学級〜18学級が適切だとして統合させるのに、過密都市には19学級以上、中には25学級以上、35学級以上という大変な学校もあるのに、適正規模にしようとしない。どういうことか。
岩間英太郎 文部省初等中等教育局長
私どもは決してその学校統合をすすめているわけではございません。学校といいますものは、特に小学校あたりでございますと親の手元から通わせるということが望ましいわけでございますし、またあまり遠距離を通学させるということについては弊害があるということを感じておりますので、私どもはむしろ、特に小学校あたりにつきましては従来消極的であったというふうなことでございます。
しかしながら、こういうふうに社会の情勢が変化いたしまして、過密とか過疎とかいう新しい現象が出てまいりました。やはり父兄の方々といたしましては、一方では学力の向上を望むというふうなことで、地域の方々が一致してそういう方向に持っていこうというものを、何も私どもは妨げる必要はもちろんない。しかし積極的に統合しなければいかぬということで強力な指導をしているということでもないということでございまして、無理に私どもが統合をすすめているというふうなことはございません。
無理な学校統廃合で弊害が起きているのは地方自治体の責任であって、国が無理に学校統廃合を進めているのではない、と責任逃れをしています。
1958年(昭和33年)には、「学校統合に関して特別にどうこうするように指示文書は出していない」などと驚くような答弁もしています。
また、小学校の統合については「従来消極的であった」と言っています。これも明らかに責任逃れなのですが、1956年通達とその当時の学校統合は、中学校を主要なターゲットにしていたという面もあります。
1956年に学校統合を奨励する通達が出されてから、1973年の学校統合方針を修正する通達が出されるまでの間、学校規模がどのように変化したかを調べてみると、驚くべき結果になっています。
小学校では、5学級以下の小規模校が最も減っているのですが、それとほぼ同じぐらい、適正規模とされた「12〜18学級」の学校が減っているのです。
代わりに最も増えたのが「25〜30学級」、次いで「19〜24学級」です。中学校でも、最も増えたのは「19〜24学級」です。
つまり、この間の学校統合政策によって、学校規模の適正化でなく過大化が進んだのです。
山原健二郎 衆院議員
昭和31年の当時は学級児童数が60、現在は45になっている。12学級〜18学級という適正規模も基準が崩れている。これを撤回し、無理な統合はやらないとか、通達を改めて出し直すことが必要ではないか。
岩間英太郎 文部省初等中等教育局長
確かに(昭和)31年と申しますといまからもう15年以上も前のものでございまして、その事情の変更に伴いまして修正が行なわれる必要があれば、中身をもう一度検討してみたいというふうに考えます。
また御指摘のように、学校統合に伴いましていろいろ極端な弊害が出てくるというふうな事態になりました場合には、そういうものについて必要な指導をしていくということも当然考えなければならないようなことであろうというふうに考えます。
山原健二郎 衆院議員
2つの理由(過大校に対応しない、1学級の児童・生徒数が変化)から通達は古くなっている。通達の出し直しについて大臣は検討する用意があるか。
奥野誠亮 文部大臣
学校統合の場合に、教育の効果あるいは通学上の便、不便、いろいろなことを総合的に考えて結論を出さなければならない、おっしゃるとおりだと思っております。御指摘の通達、これは私よく知らないのでございますけれども、(昭和)31年と申しますとかなり昔の通達でございますので、その内容をもう一ぺん調べまして必要に応じて善処したい、かように思います。
文部省初等中等教育局長だけでなく、文部大臣が「通達」の見直しを国会で約束しました。大臣が「私よく知らない」というのは何とも無責任な大臣ですが、この一連の政府答弁が、1973年(昭和48年)9月27日の「通達」(Uターン通達)に結びつくことになります。
山原議員の質問の中で、「昭和31年の当時は学級児童数が60、現在は45」というのがあります。1学級の児童数は、1958年(昭和33年)に制定された「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」で定められています。この法律の制定直前の各県の基準の平均は60人でした。
1959〜1963年度は50人、1964年度に45人に引き下げ、1980年度に40人に引き下げられ、現在に至ります。ただし、小学1年生のみ2011年度より35人となっています。